肌に貼って、血糖値を測定。しかも無痛で、採血も不要──そんな夢のような技術が、いま実現に近づいています。「マイクロニードルパッチ型センサー」です。発想力と技術力で、予防医学の未来に挑む東京大学 生産技術研究所の金 範埈 教授にお話を伺いました。
一日、約1000人──これは、東大病院における外来採血の患者さんの人数です※。
体の状態を把握し、病気の診断や投薬を行う上で欠かせない血液検査。しかし採血には、さまざまな負担が伴います。第一に、痛み。注射が苦手な人は少なくないはずです。さらに具合が悪くても、遠方でも、まずは病院に行かなければなりません。そして、病院に着いてからは、長い待ち時間が……。裏を返せば、それは医療従事者の作業量の多さを物語っています。
こうした採血に伴う数々の負担を、一度に解消できるかもしれないと期待を寄せられている技術があります。マイクロ要素構成学の専門家、金 範埈 教授が開発した「マイクロニードルパッチ型センサー」です。
目に見えないほど小さな針が並んだこのシートを肌に貼るだけで、採血の代わりになるというのです。「痛みを感じずに、血糖値やコレステロール値などの検査項目を調べることができます。将来的には、自宅にいながらセルフモニタリングができるツールにすることで、通院や待ち時間などの負担軽減につなげたい」と金教授は話します。
なぜ痛くないの? そもそも、どうやって調べるの? 検査としての正確性は? そして、実用化に向け、どこまで研究が進んでいるのでしょうか。
スポンジのように吸い上げる
マイクロニードルは、長さ1ミリ以下、先端の直径は50マイクロメートル(1ミリの20分の1)以下の非常に微細な針です。細い針ほど、皮膚の表面に点在している痛点に触れる確率が下がるため、痛みを感じにくくなります。
一方で、注射針といえば、筒状に穴が開いたものを想像しますが、金教授が開発したマイクロニードルは、「多孔質」。たくさんの孔(あな)があいた針で、まるでスポンジのように、毛細管現象で体液を吸い上げます。
ただでさえ細い針にいくつも孔をあけるとは……。なぜ、あえて難易度の高いことに挑んだのでしょうか。金教授は次のように話します。
「マイクロニードルは、元々、美容成分の導入手段として注目されてきました。医療分野でも、薬を体内に届けるドラックデリバリー分野での研究が先行してきた背景があります。当初のマイクロニードルは、金属製やシリコン製でしたが、万が一、体内で折れると異物として残ることが安全性上の課題となっていました。一方、私が専門とするマイクロ要素工学の分野では、10年ほど前から半導体の加工技術が進んできました。これにより、生分解性ポリマーでマイクロニードルを作製することが可能となりました。当研究室でも、投薬やワクチン接種を想定した研究を進めてきましたが、通常の注射針もそうであるように、体内に“入れる” だけでなく、体内から“とり出す”ことにも応用できるのではないかと考えたのです」
採るのは、血液ではなく「間質液」
そこで金教授が注目したのは、皮下の間質液。間質液とは、血液の液体成分である血漿や、細胞の周りを満たしている体液のことで、組織液とも呼ばれています。つまり、「採血」ではないので、針は血管を傷つけません。痛くない上に、実に良い話ですが、果たして採血の代わりになるのでしょうか。
「血液検査では、血漿の成分を調べています。例えば、血糖値なら血漿グルコースを、コレステロール値であれば、血漿中のリポタンパク質(LDL、HDLなど)を測定しています。この血漿と約95%同じ成分を含むのが、間質液です。今までは、間質液を調べる必要性も認識されていませんでしたし、そもそも皮下の浅いところで針を止める術がなかったのです」
金教授は「マイクロニードルで間質液を調べる」という、まったく新しいコンセプトを実現するため“とり出す”ことに最適な針を模索しました。例えば、マイクロニードルには色々な形状がありますが、ベーシックな、筒状に穴のあいた針(空洞型)は、生分解性ポリマーでの作製がまだ難しく、加工プロセスが複雑で、コストもかかるといった難点があります。
生分解性のハイドロゲルで作られた膨潤する針もありますが、体液を吸い取った後に、絞り出すプロセスが生じます。将来的に、患者さん自身で測定できるようすることを考えると、簡便さに課題が残ります。「針と、検査部位を一体化し、ワンアクション・短時間で判定できるセンサーにしたい」と思案する中、ひらめいたのが、多孔質の針でした。
ついに編み出した独自技術
しかし、「アイデアはあっても、実現するのは大変だった」と金教授は語ります。
「たくさん吸うには、孔が多いほどいい。でもそうすると、針としての強度が低下する。硬くすると、今度は吸わなくなる……と、トレードオフになるため、その匙加減が難しかったですね。多孔質ポリマーの作成法としては、ポリマーの原料と塩などの水溶性の物質を混ぜ合わせ、融点の差を利用して、お湯で塩だけを溶かし、孔をあけるという方法があります。しかし、均一に孔をあけるには、材料や温度、湿度など、さまざまな条件の検討が必要でした」
そうして、ようやくたどり着いたのが、ポリ乳酸という手術の縫合糸などに使われる素材で作った多孔質マイクロニードルです。
この針をシート状に並べたパッチを肌に貼ります。すると、吸い上げられた間質液が、針の上にある試験紙に染み込みます。試験紙に現れる色の濃淡で、血糖値などの調べたい物質の濃度を測定──これが、世界初のマイクロニードルパッチ型センサーの仕組みです。
工学者が描く、未来の医療
2024年6月、マイクロニードルパッチ型センサーは東大病院での臨床試験の承認を得て、いよいよ実現に向けて動き出しました。最初のターゲットは、糖尿病です。なかでも、生活習慣によって後天的に発症するII型糖尿病は、世界では3人に1人がその予備軍と言われています。しかし大半の人には自覚がありません。
「年1回の健康診断で指摘を受けても、なかなか生活改善につながらないのが現状です。一方、すでに発症した患者さんでも、医師の指示で毎日、数値を測定しているうちに、(投薬の開始前に)数値が改善することがあります。やはり、自分の体の状態を把握することが、行動を変える大きな原動力になると思います」
さらに、血糖値だけでなく、コレステロール値など、いくつかのマーカーを同時に測定できることから、小児科や婦人科、入院患者さんにも活用できるようにしたいと金教授。
「入院患者さんは、毎朝、採血を受けます。体調を把握すると同時に、点滴などの薬物濃度をチェックするためです。将来的に、薬物濃度の測定もパッチで代替できるようになれば、患者さん、看護師さん、双方の負担を減らせると考えています。他にも、乳がんの指標となるタンパク質を測定することで、早期発見につなげたいですし、女性ホルモンの値を測定することで、不妊治療や更年期障害の治療などにも応用できると考えています。簡便に、採血せずに、体の状態を知ることは、医療の革命になると信じています」
予防医学を実現するには、高度な精密医療機器だけでなく、体のモニタリング装置も不可欠だと語る金教授。実用化に向け、着実に歩を進めています。
※ http://lab-tky.umin.jp/member/kensa/a01saiketu01.html
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記事執筆:堀川 晃菜(サイエンスライター・科学コミュニケーター)
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