2025年はクマと人間との接触による被害が各地で相次ぎ、特に北東北の秋田・岩手を中心に、市街地へのクマの出没が大きな問題になりました。なぜ今、遭遇リスクが高まっているのか。そして将来、どこで危険が増すのか。本記事では、リモートセンシングと機械学習を融合させ、クマの出没確率や将来のリスク変動を明らかにした、東京大学 生産技術研究所の竹内 渉 教授の研究を紹介します。
衛星画像から「クマ」の何が見えるのか
「リモートセンシング」とは、人工衛星や航空機のセンサーを用いて、遠隔地から対象物に触れずにその性質を計測する技術です。気象衛星「ひまわり」による天気予報もその一例であり、気象や土地利用など、広範囲の情報を一度に取得できるのが特徴です。
竹内教授は、大学院生のDelgorge Didierさんとともに、衛星画像を用いたリモートセンシング技術でツキノワグマと人間の「遭遇分布」を予測する研究を行いました。衛星から写した画像で、なぜクマの分布が分かるのでしょうか。
「衛星画像で調べるといっても、宇宙からクマを数えられるわけではありません。南極のペンギンを衛星画像で調べるといった、動物を直接観測する研究もありますが、基本的にツキノワグマは樹木に覆われた森の中で単独行動しているため、衛星から直接個体を捉える研究には向きません。私たちが衛星画像で見ているのは、人間の土地利用やクマの生息環境を形づくる植生などです」
緩衝地帯の消失が招くリスク
クマと人間の軋轢(あつれき)が深刻化した背景には、狩猟者の高齢化・減少による個体数管理機能の低下が挙げられます。加えて、里山を利用して暮らす人々が減少したことも大きな要因です。かつて人の手が入っていた里山は、クマの暮らす奥山と人間の生活圏を隔てる「緩衝地帯」として機能し、双方の遭遇を抑制してきました。
しかし、過疎化により耕作放棄地や手入れされない山林が増加しました。草木が生い茂った土地はクマにとって格好の隠れ家となり、新たな活動地や生息地へと変貌します。その結果、人間の生活圏とクマの活動領域が接近してしまうのです。
「衛星画像を解析すれば、土地の利用状況、耕作放棄地の有無、人工林か天然林かの区別、さらにはクマのエサとなる樹種の分布などを明らかにできます。こうしたマクロな情報に、クマの目撃情報や被害件数、地域人口、どんぐりの豊凶といったミクロなデータを組み合わせて分析を行いました」
秋田県で可視化された「曖昧になる境界線」
下図は、2025年におけるツキノワグマと人間の遭遇リスクと植生の関係を解析したものです。左が富山県、右が秋田県の解析結果です。赤色は遭遇リスクが高く、緑色は森林地帯を示しています。
富山県では、富山駅(★)周辺のリスクは低く、危険エリアは市街地と農地の境界や森林の緑に点在しています。一方、秋田県では、秋田市内に大きなホットスポット(高リスク地域)が形成されており、秋田駅(★)の周囲までもが高いリスク予測区域に含まれています。この結果は、秋田において人間とクマの生活圏の境界が極めて曖昧になっている状況を浮き彫りにしました。
「このような違いが生じた原因のひとつとして、地形の影響が考えられます。富山県では、農地・市街地のある平野部と山間部の境界が地形的にはっきりしていますが、秋田県では森林と市街地がモザイク状に隣接しているという特徴があります。今回の秋田県の結果は、クマが森林に依存せず、市街地の残飯や果樹などを誘引物として利用し始めている、つまり都市環境への適応の可能性を示唆しているとも言えるかもしれません。ただし、この点については今後のさらなる検証が必要です」

2025年における人間とクマの遭遇リスク分布を示した予測リスクマップ 提供:竹内 渉 研究室
人口動態から「未来のリスク」をシミュレーションする
本研究の大きな成果は、過去や現在の状況だけでなく、将来の遭遇分布まで予測した点にあります。竹内研究室では、約30年先までの将来推計人口(年齢構成・性別・移動率など)と研究データを組み合わせ、生物の分布を予測する統計学的手法である「MaxEntモデル」を用いて将来リスクを試算しました。その結果、富山では広い範囲でリスクが徐々に高まるのに対し、秋田では限られた地域で急激にリスクが増加する可能性が示唆されました。
「人口動態の変化とともにリスクが空間的にどのように変わっていくのかを理解することは、将来の持続的な管理に向けて極めて重要です。過去の変遷を見ると、人口が減ると森林を管理する人も減り、耕作放棄地が増えています。自治体の人口は社会構造の変化の影響を大きく受け、たとえば20年後には人口半減が予測される自治体であっても、クマの頭数は急激には減りません。こうした相関関係をふまえてこそ、長期的な対策が可能になるのです」
科学的根拠(エビデンス)に基づく社会決定へ
人口減少、都市への人口集中、里山機能の低下――これらは今後さらに進行します。対策を講じなければ、クマとの遭遇リスクは高まる一方です。しかし、緩衝地帯の維持や野生動物の管理には多大な社会的コストがかかります。この負担を特定の地域だけに押し付けるのではなく、社会全体で考える必要があります。
「EBPM(Evidence Based Policy Making:証拠に基づく政策立案)という言葉があるように、これからは科学が社会の意思決定にも応用される時代です。限られた予算と時間と人材を、何に優先順位をつけて配分するか。その判断材料として、研究から得られたエビデンスが役立つと考えています」
環境保全と経済性のバランス、そして野生動物との遭遇リスクをどの程度許容するか。これらは人間の都合だけでなく、生態系全体を俯瞰して考えるべき課題です。
「場当たり的な対応や、出没の多い地域の自治体任せにするのではなく、将来を見据えた総合的な取り組みが大切です。現状を正しく知り、自分たちにできることを考える。それが成熟した社会への第一歩であり、私たちの研究がその材料を提供できればと願っています」
「市民科学」とデータの蓄積が拓く可能性
竹内研究室は、アジアにおけるリモートセンシングの中核拠点として、衛星データの運用から現地調査まで幅広く手掛けています。環境、災害、農業、都市――多岐にわたる研究の共通項は「人間活動と自然との関わり」です。

タイにおける気候変動と人為的変化の複合的な影響下における人間とゾウの遭遇リスク評価(2022年)提供:竹内 渉 研究室
竹内教授は、継続的な観測とデータ蓄積の重要性を説きます。過去の画像も、最新技術を用いれば新たな事実を語り始めます。長期的なデータの蓄積こそが、精度の高い未来予測の鍵となるのです。 さらに竹内教授は、広域情報だけでなく、現場でしか得られない情報の価値を強調します。
「SNSが発達し、野生動物の目撃情報が集めやすくなりました。野生動物だけでなく、災害やインフラの異変など、現場の市民による発信は、研究や対策の重要な手がかりになります。こうした市民型の取り組みを『シチズンサイエンス(市民科学)』と呼びます。集められたデータがどう活かされているのかを私たちが積極的に発信することで、データの価値が伝わり、関わる人が増えていくことを期待しています」
人間、動物、環境の健全性は相互に深く結びついているとする「ワンヘルス (One Health)」という考え方があります。健全な生態系を保つことは、巡り巡って人間の幸福へとつながります。多くの人が関心を寄せ、野生動物を含めた社会の在り方について考えること。それが、私たちが納得できる未来を築くための道標となるでしょう。
“Human-elephant conflict risk assessment under coupled climatic and anthropogenic changes in Thailand”, is published in Science of the Total Environment Volume 834 (2022) at DOI: 10.1016/j.scitotenv.2022.155174

【紹介研究者】
竹内 渉(東京大学 生産技術研究所 教授)
専門分野:環境・災害リモートセンシング
記事執筆:寒竹 泉美(サイエンスライター・小説家)
みんなのコメント
コメントはまだありません。
投票&コメントで参加
この記事が描く「もしかする未来」をどのように感じましたか?あなたの期待度を投票してください!
もっと詳しい研究内容を知りたい方、疑問や質問がある方は、研究室のウェブサイトをご覧ください。
この記事をシェア