「量子コンピュータ」の開発が世界各国で活発に進められています。現行のコンピュータの1億倍もの計算速度を持ちうるともされ、それは例えば、現在のスーパーコンピュータで3年以上かかる計算を1秒で終えられることを意味します。そんな量子コンピュータの根幹を支える重要な要素となるのが「量子ビット」ですが、東京大学 生産技術研究所の黒山 和幸 准教授は、量子ビットの新たな可能性を広げる研究において、注目すべき成果を出しています。その研究とは、異なる種類の量子ビットの間で情報を行き来させるというもの。それはいったいどのようなことなのか。この研究がもたらす未来とは。黒山准教授に聞きました。
量子コンピュータの実現のために
現行のコンピュータに比べて異次元の速さを持つと期待される「量子コンピュータ」は、特定の用途に限ったごく小規模なものとしては現状すでに存在するものの、広く使われているものはまだありません。そうした中で黒山准教授は、汎用性のある量子コンピュータを実現させるうえで重大な意味を持ちうる技術の研究をしています。その研究の内容を知るべく調べてみると、2023年に応用物理学会で黒山准教授が行った講演のタイトルが以下の通り。
<究極の光と物質の相互作用「超強結合」 単一の光共振器で検出>
……これは、いったいどのような研究なのでしょうか。言葉から想像するのは難しそうなその内容について、黒山准教授に、できるだけ平易な言葉で説明してもらいました。
量子ビットを変換する「ハイブリッド量子変換」とは
「量子コンピュータがなぜそんなに速いのかと言えば、カギとなるのが「量子ビット」です。それは現在のコンピュータの「ビット」に対応するもので、特徴は、通常のビットが「0」か「1」かのいずれかの値を取るのに対して、量子ビットは、「0」でもあり「1」でもある「重ね合わせ」の状態を取れることです」と、黒山准教授。
量子ビットがそのような性質を持つことが、量子コンピュータの計算速度が驚異的に速い理由ですが、その一方、量子コンピュータを開発する上でもっとも大きな問題となるのが、どのようにして量子ビットを実現(実装)するか、という点です。言いかえると、どのような物理的実体の中に量子ビットの性質を持たせるかが、量子コンピュータ開発の最大の難しさだということでもあります。
量子ビットを実現する方法は現在複数考案されていて、特に研究が進んでいるのは、「超伝導方式」や「イオントラップ方式」と呼ばれるものです。超伝導方式は、極低温に冷却した一種の電気的な共振回路によって量子ビットを実現する方法で、イオントラップ方式は、電場によって真空中に並べたイオンを量子ビットとして用います。ただ、超伝導方式は1量子ビットあたりのサイズが比較的大きいことから集積性の面で不利であることなど、それぞれに難しさも抱えています。そのため、これら以外の実装方法の模索も続いており、黒山准教授の研究に関係するのは、上のいずれとも異なる、別の2つの方法です。その1つは、「半導体量子ドット」と呼ばれる、極小の半導体結晶の中に閉じ込めた電子を利用して量子ビットを実現する方法(=半導体方式)で、もう1つは、光の粒子である光子を量子ビットのように扱う方法(=光方式)です。
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量子ビットを実装するための各方法 (Illustrations from Qunasys) 提供:黒山 和幸 研究室
黒山准教授は言います。「私は、その2つの方法の間で、量子ビットの情報を行き来させる手法についての研究を行っています。すなわち、半導体量子ドット内に閉じ込めた電子が持つ量子ビットの情報と、光子が持つ量子ビットの情報が、互いの間を行ったり来たりできるような『ハイブリッド量子変換』という手法についての研究です」
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このような数百ナノメートル程度(ナノメートルは1mmの100万分の1)ほどの半導体量子ドットの中に1つの電子を閉じ込めることができる 提供:黒山 和幸 研究室
量子ビットを変換させることにどのような意味があるのかと言えば、変換が可能になれば、それぞれの量子ビットの長所を活かすことができます。例えば、小型化・集積化がしやすい半導体方式と、通信技術と相性がよい光方式を結合させることができれば、双方の長所を同時に実現できる可能性が期待できるのです。さらに、異なる量子ビットをハイブリッド、すなわち一体化させることで、個々のビットでは実現できないような新機能の創出も期待できるそうです。前掲講演タイトルの「光と物質の相互作用」とは、そのような、電子(=物質)と光との間の情報などのやり取りを意味します。このハイブリッド量子変換の実現に向けた重要なステップとなる実証実験を、黒山准教授は2023年に成功させたのでした。
“単一の光子”と”単一の電子”との間で情報を行き来させたい
研究の中身をさらに見ていきましょう。
半導体量子ドット中の電子と光子との間で量子変換を行うこと自体は、すでにさまざまな研究があり、新しいわけではありません。では、黒山准教授の研究はどこが従来の研究と違うのでしょうか。先の講演タイトルにある「単一の光共振器で」という部分が大きな意味を持っています。
黒山准教授が行った量子変換の方法は、テラヘルツ帯域の光共振器を用います。つまり、テラヘルツ帯域の周波数を持った光子を、電子と強く結合させて、ハイブリッドの状態を作り出すというものです。量子ドットは、原子のように殻構造を持っていますが、その電子軌道のエネルギーは典型的にテラヘルツ帯域の電磁波に整合しています。したがって、テラヘルツ電磁波を用いることで、従来よりも効率的に量子変換がなされる方法と期待されます。ただこのテラヘルツ帯域の光共振器を用いて従来行われてきたのは、半導体中の何千、何万という電子の集団と結合した光共振器をさらに何十、何百と並べて、これら多数の共振器の平均化された信号を光で観測するというものでした。しかし、この光共振器を量子ドット系に応用するためには、1つの光共振器と1つの量子ドットに閉じ込められた電子を結合させて観測しなければなりません。黒山准教授の研究は、それを、まず単一の光共振器と、半導体中に存在する多数の電子のハイブリッド状態を観測し(2023年の応用物理学会、https://www.iis.u-tokyo.ac.jp/ja/news/4356/)、さらに、単一の光共振器と量子ドット中のごく少数の電子との間でも実現した(https://www.iis.u-tokyo.ac.jp/ja/news/4441/ )という点で新しく、注目すべきものなのです。
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半導体量子ドットの内部にも原子のように量子化された電子軌道があり、量子ドットの場合には、その軌道のエネルギー間隔の大きさは、テラヘルツ帯域の光子のエネルギーに整合している。そのため、テラヘルツ帯域の光共振器と半導体量子ドットを用いた量子変換は従来よりも効率がよくなると期待している。 提供:黒山 和幸 研究室
「多数の光共振器から得られる信号は、複数の共振器の情報が足されて平均化されたものになり、その過程で量子情報は失われてしまいます。そのため、量子ビット1つひとつの情報が重要になる量子コンピュータで利用するのは困難です。それゆえに、”単一の共振器に閉じ込められた光子”と”単一の電子”の間での量子変換の実現が求められていたのですが、今回、テラヘルツ帯域の電磁波においても、それにかなり近いことが実現できたという点で、大きな意味があると考えています」
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量子ドットを、光共振器と結合させる実験のイメージ。量子ドット内の数個の電子が光共振器の強度の結合を示した(=光共振器と電子が結合することが、両者のハイブリッド量子変換へとつながる) 提供:黒山 和幸 研究室
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半導体基板上に作製した量子ドットとテラヘルツ帯域の光共振器の結合系試料の写真。右側の拡大写真に見える、3本の電極と共振器と間に量子ドットを形成する 提供:黒山 和幸 研究室
このような量子変換、すなわちハイブリッド量子変換がなぜ必要かという点を改めて振り返ると、1つには、量子情報を遠くに送る量子通信の実現ということがありました。ここでの量子通信は、必ずしも長距離の通信を意味するだけではなく、半導体素子のチップ上での数百マイクロメートル程度の伝送も含まれます。特に、量子コンピュータの大規模化には、そのような半導体チップ上の量子通信が必須技術として考えられています。テラヘルツ波を利用した今回のハイブリッド量子変換の研究をさらに発展させると、半導体のチップ上で離れた位置にいる複数の量子ドットを電磁波によって量子的に接続できるようになります。そのような半導体量子ビットの遠隔結合技術は、今後実用的な規模の半導体量子コンピュータが実現する可能性に道を開くものだと言えるようです。
未知の領域の開拓によって見えてくる新しい未来の可能性
かなり難解に聞こえる研究ではありますが、情報を電子に載せ、それを光へと変換することで遠くまで運ぶための技術と考えると、私たちの誰もの未来につながる研究とも言えます。最後に、この研究の面白さはどういうところかを改めて黒山准教授に伺いました。
「半導体量子ドットを用いた研究を私は大学院の修士課程の時に始めたのですが、極微小な粒子である電子を、半導体量子ドットの中に1個ずつ閉じ込めるということが技術的に可能で、さらにその電子の動きを実際に観測できることに当時とても感動したのを覚えています。また、半導体量子ドットという長く研究されてきた対象でも、テラヘルツ波のような未開拓の領域の技術と組み合わせると、新しい現象がいろいろと出てくることを今回改めて実感して、研究の面白さを再確認しました。難しく聞こえる研究だとは思いますが、今後の行方に注目してもらえたら嬉しいです」
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記事執筆:近藤 雄生(ノンフィクションライター、理系ライター集団「チーム・パスカル」)
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