クルマの自動運転こそ、ほぼ「どこでもドア」?


 東京大学駒場リサーチキャンパス公開および東京大学柏キャンパス一般公開の来場者から寄せられた、研究者への「問い」と、研究者からの「コメント」を紹介します。


「どこでもドア」がほしい!

 究極の「どこでもドア」は難しいですが、どこかへ自動で連れて行ってくれる乗り物はできるかもしれません。
 つまり、クルマの自動運転です。いつでも自由に行きたい所へ行ける、そんな象徴のような道具がクルマですが、今は免許を持った人が運転しないといけません。免許取得には年齢など資格が必要だし、運転免許試験を受けないといけないし、安全運転の義務があるので運転手はお酒も飲めないし、視力や動作の能力が低下すると免許返納も求められます。

 今、自動運転の技術開発が世界各国で進められています。この技術は、クルマの運転を自動化するので、そのクルマが走る環境が、そんな自動運転車を受け入れるか、認めるか、ということが大きな問題です。
 今でも、クルマという1トンを超える鋼鉄の塊が、歩く幼児の1mくらいの横を走り抜けることを社会は許しているのは、実は驚異的なことです。一歩間違えば簡単にクルマはヒトを殺せますから。
 信頼、価値観、法令ルール、取締、安全基準、認証制度、リコール制度、保険制度、道路設計、建築設計など、多様な環境条件が、こうしたヒトの運転するクルマを私たちの社会が認めるようにしてきたのです。運転席にヒトが居ない、そもそも運転席が無い、そんな自動運転車が、あなたが渡ろうとする横断歩道にやってきて、あなたの横断を認識して譲ってくれるかどうか、どうやったら分かるでしょうか。運転手が居ない自動運転の幼稚園バスに、あなたの妹弟や子供を一人で乗せられますか?
 そんな一人一人の感情の裏にある社会心理、社会制度、環境、慣習、文化などを理解せずに、自動運転が走る社会の実現はありえません。これは、自動車を製造するメーカや、バス運行会社、法律や制度を作り運用する政府、さらに、農業から製造業、サービス業まで、ありとあらゆる産業界に関わる話です。

 日本でも世界各国でも、今、こうした課題を解決すべく、課題の理解や洗い出しとその解決策を模索しています。それらの解決の先には、いつか、「ほぼどこでもドア」、が実現するかも知れません。
 でもね、「ほぼどこでもドア」、だけだと、行きたい、と思わない所には永遠に「行くきっかけがない」ことになるかもしれなくて、通りがかりにふと気が引かれた、とか、迷い込んだお陰で新たな発見や出会いがあった、みたいなことが出来なくなるかもしれませんよ!?

大口 敬 教授

記事執筆:大口 敬 教授

 毎年6月初旬には「東京大学駒場リサーチキャンパス公開」が、10月下旬には「東京大学柏キャンパス一般公開」が実施されています。東京大学 生産技術研究所 広報室では、研究者たちが思い描く「もしかする未来」と、来場者が研究者にかなえてほしいと願う「もしかする未来」が交錯するオブジェを、展示してきました。この記事では、来場者から寄せられた願いに対しての、研究者からのコメントを紹介しています。
東京大学駒場リサーチキャンパス公開ウェブサイト
東京大学柏キャンパス一般公開ウェブサイト

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